2005年 03月 12日
![]() 喋ったことをほぼそのままテロップで出すだけなので、別になくてもいいじゃないかと思うのだがバラエティを中心に競うように出し続けている。 確かに「何を喋ったのか」が分かりにくい場合もあるので、そういうときにはテロップは役に立つ。 でも滑舌のいい人が大きな声ではっきり喋ったことにまでテロップは出されている。 なぜ今のようにテロップが氾濫するようになったかについて一説には、「会話文」を「音声」よりも「文字」に置き換えた方が認識しやすい人が増えたから、とも言われているそう。 四六時中「メール」をしている世代にとっては、確かに「会話」は音声よりも文字の方が多かったりもするかもしれない。 それはそれで漢字を覚えるにはいいかもしれないが、微妙なニュアンスが伝わらなくなるので会話はなるべく「音声」の方がいい、と個人的には思うのだけれど。 まぁ理由はどうあれこの「テロップ」、番組を作る現場の人間にとっては面倒くさいことこの上ない。 何を喋っているのか一言一句耳で聞き分けて、それをワープロで打ち、画面に焼きこむのだ。 文字の色や形、サイズもいちいち加工せねばならない。 しかも、ワープロを打つのは大抵は新人のADクンだ。 打ち間違いが多いわっ。 失礼。 打ち間違いが大変多うございます。 そしてオンエアに乗ったテロップに誤字脱字や意味不明な点があったりすると、視聴者から指摘や苦情の電話が殺到する。 面倒くさいことをあえてやって、それでミスがあれば文句を言われる。 やってられんっちゅーに。 それでも局や番組の偉いサンが「やっぱりテロップはあったほうがいいよね。見ている人にも優しいしね」なんてことを言い続けているうちは、テロップは出し続けねばならないだろう。 そういう意味でも、現場の人間に好意的に見られている人の代表格は明石家さんまサンだろう。 さんまサンは「自分が喋ったことを出来うる限りテロップで出さないで欲しい」と番組のスタッフに頼んでいるそうだ。 理由は色々あるかもしれないが、テロップを出すと視聴者は文字を目で追ってしまうので画面全体を見なくなる。 そうなると、表情や仕草を見逃してしまうから「テロップは出さないで欲しい」といっているのではないかと、勝手に思っている。 もちろんさんまサンの番組でも、ゲストやパネラーのセリフはテロップになっていることもあるので、スタッフの労力が極端に減るわけではないが、最も喋っている人物にテロップを出さなくてもいいのだから、かなり楽になることには違いがない。 かくして、さんまサンの番組は画面がスッキリとしたものになる。 これも、高視聴率に繋がっている一因かもしれない、とも思うのだけれど。 さんまサンの番組がスッキリとしたものに見えてしまうほど、テレビの世界は無駄が多い。 どう考えても、喋り言葉にテロップを出すのは無駄だと思う。 それになにより、遠い昔からテレビがやっていることと大いに矛盾している。 海外の映画を放送する際、「お願いだから字幕スーパーで!」というかなりの数の視聴者の声は無視しているのだから。 #
by just27
| 2005-03-12 17:27
| 仕事
2004年 09月 06日
![]() が、俺の場合は違った。 パスポートを取ったのは23の時だった。 その時点で、海外に行く予定など全くなかった。 俺は23の春、4年間籍を置いた大学を「クビ」になった。 「除籍放校処分」というヤツだ。 理由は「単位を全く取得しようとしなかったから」というもの。 要は学校に全く行かなかったのだ。 聞いた話だと、早稲田大学の場合単位取得の姿勢があろうがなかろうが、自主的に退学しない限り(刑事事件などを起こせば別だが)8年間は大学に籍を置ける。 サンプラザ中野さんなんかはそのはずだ。 しかし、俺のいた大学の俺のいた学部には「4年」が経過した時点で容赦なく除籍放校処分にする、と言う学則がありそれを厳格に適用していた。 で、2年生ごろから全く授業に出なくなった俺は4年経った時点で見事にクビを言い渡された。 同時に大学に入った同期の連中と一緒に大学を出た形になった。 俺はプータローになった。 予想していたことではあるがオヤジが激怒した。 苦労してそれなりの大学に入れたのに、簡単にクビになってしまったのだ。 オヤジが激怒するのも無理はない。 で、親父は俺に「勘当」を言い渡した。 一人暮らしをしていた俺は、文字通り「糸の切れた凧」状態になった。 大学にも、家族にも、会社にも、どこにも所属していない「あうとろー」になってしまったのだ。 暫くは、自由気ままなその境遇を楽しんでいた。 が、ある時おれははたと気付いた。 それは、近所に新しく出来たレンタルビデオ屋でのことだった。 新規に会員になろうとした俺に、ビデオ屋の店員が告げた。 「免許証か何か、お持ちですか?」 「免許持ってないです」 「では、学生証は?」 「学生じゃないです」 「健康保険証は?」 「持ってません」 「では、会員証をお作りすることは出来ませんね…」 俺は愕然とした。 「身分を証明するものが何もない…」。 この時点で俺は運転免許証を持っていなかった。 勘当されたので健康保険証もなかった。 (オヤジは容赦なく、俺を扶養家族から外した。自らの税金が増えるにもかかわらず) 当然、除籍放校処分になったので学生証もない。 俺は俺が誰であるかを証明するものを、何も持たなかった。 国民健康保険に入ってもよかったのだが、ビデオ屋の兄ちゃんが親切に教えてくれた。 「顔写真のあるパスポートの方が、いろいろな面で信用力が高いですよ」。 こうして俺は、海外に行くあてもないのにパスポートを作った。 そのパスポートは、結局期限切れになった。 有効期限の5年間は、そのまま俺の「あうとろー」時代と重なる。 一番金のない頃だったので、一度も海外に行くことのないまま、そのパスポートは期限切れになった。 その後新しくパスポートを作ったので、最初に作ったパスポートは今も俺の手元にある。 新しく作ったパスポートには、世界各国の「入国・出国」のハンコがたくさん押されている。 一回り大きい最初のパスポートは当然ながら真っ白のままだ。 でも、俺が最も落ちぶれていた時期に、俺が誰であるかを証明し続けてくれたその白いパスポートは、今も大切な宝物だ。 #
by just27
| 2004-09-06 13:43
| よた話
2004年 08月 17日
![]() 晩夏から初秋にかけて鳴くセミ。 今年もまたツクツクボウシの鳴く季節がやってきた。 独特のあの鳴き声を聞くと、毎年思い出すことがある。 小学生時代、住んでいた町内の「子ども会」のようなもので、ある夏とあるお寺にみんなで話を聞きに行かされた。 そのお寺のお坊さんが話してくれた。 ツクツクボウシというセミは、他のセミが7月の暑い盛りから鳴くのに比べ、少し遅れて鳴き始める。 だんだん涼しくなり始めると鳴き出すのだ。 その名の通り「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ」と鳴いていると思っている人が多いようだが、それは違う。 よく聞くとあれは「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ」と鳴いているのだ。 他のセミが「ミ~ンミ~ン」や「シャーシャーシャー」と分かりやすい声で鳴くのに、なぜこのセミだけは複雑な鳴き声なのか。 それは晩夏から初秋というこのセミが鳴く時期と大きくかかわりがある。 夏の終わりにこのセミは鳴くのである。 「去り行く夏が『つくづく惜しい』とセミが鳴く」。 そう、ツクツクボウシは夏が終わってしまうことが「つくづく惜しい、つくづく惜しい」と鳴いているのだ…。 そのお寺のお坊さんは、話を聞く気のない我々馬鹿ガキどもの心を、この話でガッチリ掴むことに成功していた。 子供ながらに「この坊さん、うまいこと言うなぁ」と思ったのを覚えている。 あれから四半世紀が経とうとしているが、未だあの坊さんより「うまいこと」を言えていない自分が悔しい。 #
by just27
| 2004-08-17 13:23
| よた話
2004年 08月 14日
今夜は有名な都市伝説を一席。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ![]() 場所だけ聞けばおしゃれなエリアだが、そのマンションが出来たのはバブルの以前。 建設会社は少しでも安上がりにしようと考えたのか、このエリアでは今では珍しいオートロックもないマンションだった。 そのマンションの12階に、恵美子の部屋はあった。 海の向こうに見えるテレビ局で敏腕ディレクターとして名を轟かせている恵美子は、仕事面では充実していたものの私生活は寂しい限りだった。 今年で33歳。仕事面での出世と引き換えに、プライベートの全てを犠牲にしていた。 男の影がなくなってもう何年経つだろうか。 だが、恵美子は全く後悔していなかった。テレビディレクターの収入は悪くない。 貯めるだけ貯めて、仕事が出来なくなれば田舎に帰ろう。結婚だってしなくていい。 そう割り切って、仕事に打ち込む毎日だった。 だからこの日も、恵美子が部屋に帰ってきたのは午前2時を少し回った頃だった。 もう慣れっこになっていた。マンションのエントランスを入ると、いつものように郵便受けを覗く。 入っているのは、読む気にもならない新築マンションのチラシと名刺大のデリヘルのチラシ。 まとめて引き抜くと、エントランスの片隅にあるゴミ箱に投げ込んだ。 一人暮らしの男はデリヘル嬢を呼んで寂しさを紛らわすのだろうか。 では、女である自分は一人身の寂しさをどう紛らわせればいいのか…。 そんなくだらないことを考えながら、エレベーターの「UP」のボタンを押した。 最上階14階で止まっていたエレベーターはするすると降りてきた。 箱の中の人となった恵美子は、12階へと運ばれていった。 玄関を開け、ヒールを脱ぐ。ディレクターという仕事柄、本当はスニーカーの方がフットワークが効いていいのだが、ヒールを履き続けているのは「女の意地」のようなものだった。 当然のことながら、部屋の中は真っ暗だった。 彼女がこの仕事を始めた頃、携帯電話はまだ普及していなかった。 家に帰ると、固定電話の留守番電話が「メッセージあり」と点滅していることが多かった。 暗い部屋でその点滅する灯りが迎えてくれる小さな幸せと、メッセージを聞く楽しみがかつてはあった。 だが、携帯電話の普及が彼女の小さな幸せを、容赦なく奪っていた。 灯りのない部屋に帰ると、恵美子は電気も付けずまっすぐ冷蔵庫へと向かった。 冷蔵庫のドアを開けると庫内の明るさが漏れ出し、彼女の顔を照らした。 そして恵美子は愕然とした。 今夜もよた話に付き合う? #
by just27
| 2004-08-14 22:05
| よた話
2004年 08月 13日
![]() 「深夜に出発」というロケがあったので、俺は一旦家に帰って寝ることにした。 「夜中の3時」に局を出発だったので、「午前2時半」に「迎えのタクシー」を自宅に回してくれるようAD君に頼んで帰った。 家に帰るとまだ「午後4時過ぎ」だった。 しかし、前の晩も徹夜の仕事だったこともあり俺は寝てしまった。 文字通り溶けるように寝てしまった。 一体何時間眠っただろうか…。 眠りに落ちた時にはまだ日があった。 しかし、もう当然真っ暗だった。 ぼんやりと目が覚めた。 その時である。 部屋のインタフォンが二度鳴った。 反射的に俺は飛び起きた。「ヤバイ!」。そう思いながら。 深夜に迎えのタクシーを回してもらうことは少なくない。 以前に迎えに来てもらったとき、俺は寝過ごしたことがあった。 15分ほど寝過ごすと、迎えのタクシーのドライバーさんが痺れを切らして起こしにくるのである。 「早く乗ってくれ。次の仕事もあるので間に合わなくなる。いつまでも寝てんじゃねーよ」。 …そうは言わないが、そんな感じで「早く乗ってくださーい!」とインタフォン越しに言われたことがあったのだ。 今回も、またインタフォンが鳴った。 また寝過ごしちまった…! 目覚ましもかけずに寝たからなぁ。 ヤバイ、午前2時半に回してくれるよう頼んだから、もう3時近いはず。 仕事にも遅れてしまう! 真っ暗な中飛び起きた俺は、インタフォンに飛びついた。 「今すぐ出て行って乗ります!」、そう言おうと思って。 ところがである。 インタフォン越しに聞こえてきた言葉は意外というほかないものだった。 よた話に付き合う? #
by just27
| 2004-08-13 21:14
| よた話
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